2016年1月14日木曜日

お悔みのコメント

 吉本興業、米朝事務所所属の方のコメントが
発表されています。
114日午後4時現在)

笑福亭松之助
悲しみの為にうち沈んでおります。

笑福亭仁鶴
終戦後、落語家の数が少ない中、他の師匠方と
力を合わせて頑張って頂いた。そのおかげで
今の我々が存在するわけで、その御尊敬すべき師匠が
他界されたのは誠に残念であり悲しいことです。
謹んでお悔やみ申し上げます。

桂ざこば
海外で春団治師匠の訃報を聞き、ショックでとても
残念です。お猪口の似合う素敵なお師匠はんでした。
昨年の夏にご自宅に伺った時も一緒にお酒を飲んでくれました。
以前に「私はお酒は酔う為に飲んでますねんけど、
お酒ってそない旨いでっか?」と尋ねたら「そら旨いがな」と
とてもいいお顔をなさって仰いましたことを覚えています。
落語に対する考え方も私のすごく大好きな方でネタは
「お玉牛」と「月並丁稚」の二つをつけていただきました。
心からご冥福をお祈りします。

林家染丸
私が十代頃寄席はどこも1000人くらいの定員でした。
それがぎっしり。皆手軽に笑える漫才がお目当て。
そんな時にも漫才の間に挟まって四天王の師匠方は
落語で勝負してはった。その姿に憧れて噺家になる
決心をしました。そんな落語家は多いと思います。
その最後の師匠もあの世の寄席へ行ってしまわれた。
教わりたいことはまだ多くあったのに。
本当に残念でなりません。ご冥福を祈ります。

桂南光
お稽古も、きっちり細かくしてくださり、
一緒に飲みにも連れて行っていただきましたが、
いつでも、どこでも春團治師匠の端正な風格が変わらず、
本当に素敵な師匠でした。

桂米団治
米朝が他界した翌年に春団治師匠が亡くなり、
一つの時代が終わってしまったんだなって。
心にぽっかり穴が開いています。
春団治師匠も2代目の実子ということから、
噺家の家に生まれ、後を行くということへの思いを
ことあるごとに教えていただきました。
「君のお父さんには若い時からお世話になったんだよ」と
おっしゃって、「高尾」「野崎詣り」をつけてくださいました。
また、僕の襲名の時には、舞台に花を添えて下さいました。
誰も真似のできない、本当にきれいな高座でした。